廣瀬純×仙田満トークセッションinTAU その2
その1からの続きです!
()内は私の補足や感想です。
ーここから話題を変えて、仙田先生とマツダスタジアムとの関わりについて
仙「建築家というのは、創り上げた建築物が街やヒトにどのような変化をもたらすのか、ということをとても考えます。」
「私と広島との繋がりは2004年に”遊び、環境とデザイン”というテーマで(この辺り細部誤りあるかもしれません)講演させていただく機会があり、直後に広島県の方から、”(旧)広島市民球場の老朽化が進んでおり、現在地での建て替えや、新しい土地への移転など、いろいろ進めなければならず、ぜひ力をお貸しいただきたい”とお話をいただいたのが最初のきっかけです。」
(旧)広島市民球場・2006年
仙「広島市民球場について学ばせてもらい、やはり広島の復興のシンボルであるということを強く感じた。」
仙「広島平和記念公園の慰霊碑から原爆ドームまで延びる線の延長線上に(旧)広島市民球場があった。いわば”祈りの先にある”という位置付けであったわけですが、私としてはこの位置は野球場でなくて他のものでも良いのではないかと感じていました。つまり、現在地での建て替えよりも、貨物ヤード跡地(旧東広島貨物駅跡地)での建設が良いのでは、と感じていました。」
広島平和記念公園 慰霊碑から原爆ドームを望む・2004年
仙「野球場については「兵庫県立但馬ドーム」の設計を行った経験から、収容人員3万人として、「約100億円くらいでできるのでは…」と申し上げたような記憶があります。」
仙「以前、名古屋工業大学に在籍していた時、東海道新幹線からナゴヤ球場が見えるのを良いなと思っていた。マツダスタジアムも、山陽新幹線や在来線の山陽本線のすぐ脇にあるという立地を生かし、”閉じていない・街に開いている”という点を意識して設計を進めました。」
レフトスタンド後方に新幹線が見えます
新幹線からの眺め
まだまだ続きます!
SIGMA 30mm F1.4 DC と Canon EOS Kiss X7
日曜日は雨だったので、雨ならではの景色撮っとこうと、少し近所を散歩しました。
愛機 EOS Kiss X7 に、レンズはSIGMA 30mmF1.4 DCを装着です。
今日のテーマは一つ、「全部絞り開放で撮る!」
雨ですねー
鮮やかなのですが、雨でしっとりとしています。
道
雨
公園のベンチ。いつもは賑やかですが、今日は誰もいません。
ただでさえ絞り開放ではピント合いにくいですが、風でゆらゆら揺れていたのでほとんどピント合ってません。でもそれが想像を誘う(?)
なんでもない植え込みも、不思議な空間に
お花見用に用意されている提灯。次週末くらいがお花見最適かな。
またまたベンチ
GooglePhotoでイイ感じに加工された。
近くの広場
家への道
自転車置き場
傘なくてもいいくらいの雨の降り方だったので、家の近所を少し散歩しました。
Canon EOS Kiss X7 と SIMGA 30mm F1.4 DC
廣瀬純×仙田満トークセッションinTAU その1
3月24日(金)、銀座にある広島ブランドショップ(アンテナショップ)「TAU」で、
”廣瀬純×仙田満トークセッションinTAU”が開催されました。
「魅力ある建築物の創造・発信」の活動の一環として、マツダスタジアムの魅力をカープOBの廣瀬純さんと、環境デザイン研究所会長・マツダスタジアム設計者の仙田満さんのトークショウとして、広島県が主催したものです。
18:30の開始ちょっと前に、広島県の方より今回の趣旨の紹介がありました。
•「魅力ある建築物創造事業」として、単に箱を作るだけではなく、見た目の魅力や運用のし易さまでを考えたものとする。
•広島型建築プロポーザル(=建築設計者を選定する際に実際の提案を重視する)
•県内の学生を対象に、アイデアコンペではなく実際に事業化する建物を対象にしたコンペを行う
•「ひろしまたてものがたり」として、県内の魅力ある建物を発掘・発信するプロジェクトを実施。
→マツダスタジアムも、「100セレクション(100選)」の中の一つに選ばれており、プレイヤー立場、設計者の立場からマツダスタジアムの魅力を紹介してもらおうというもの。
私は、カープファンであると共にマツダスタジアムの大ファンです
文字にすると前置きが長くなりましたが、実際には2、3分くらいで、いよいよ廣瀬さん、仙田さん、そしてファシリテーター(進行役)に中国新聞社・編集委員の増田泉子さんを迎え、いよいよ始まりです。
※以下()内は私の感想や補足です。
ーまずは東京での開催ということで、首都圏の3球場、神宮球場、横浜スタジアム、東京ドームについての感想を。まずは神宮球場から
廣「たくさんのカープファンが来てくれて、ビジターという感覚がない。ホームかと思う。実際に通算打率成績も良く、.350 くらいだったと思う」
ー負けた時は大変だったのでは
(ベンチから引き上げる際には、レフトスタンドのカープファンの前あたりまでグラウンドの中をあるいて帰らなければならない)
廣「その通り。かなりきついヤジがあり、モノが飛んでくるんじゃないかと思うこともあった。
そんな時はなるべく体のデカイ外国人選手のそばを歩くようにしていた(笑)。
試合後に引き上げる時
ー球場の使い勝手は
廣「大学時代(廣瀬さんは東京六大学の法政大学出身)からの馴染み深い球場。ロッカーはベンチ裏にはなく、クラブはが別にあったりした。」
ー学生野球での使用を想定した…
廣「そう思います。」
ー続いて、横浜スタジアム
廣「グラウンドで見ると基本的には狭く、ホームランが出やすいという印象。昔の球場という感じがした。他の球場が広くなっているぶんそう感じる」
横浜スタジアム(2003年)
ー東京ドームは
廣「人工芝は張り替えたりしているが。やはり、なんだかんだ言って古くなってきた。」
「ロッカーも年季の入って来た部分あって、所々、選手がキレて、多分バットか直接手でガツンとやったような凹みがある。」
東京ドーム(2003年)
ーカープの選手に限らず…
廣「そう。ビジター側のロッカーなので巨人以外のチームが皆で使うのでそれらチームの誰かが」
ーカープで言うと
廣「(スコット・)マクレーンとか、意外かもしれないけどコルビー・ルイスあたり。」
(しらべてみるとマクレーンがカープに在籍したのは2009年の1年だけ。その後カープの駐米スカウトとして活躍しいまでもカープとつながりがあるとはいえ、選手として廣瀬さんと共にプレーしたのはこの1年だけなので、よっぽど印象に残っているんだろう)
ー日本人選手では
「前田(智徳)さん…ですね…。」
(ここで会場、笑)
「前田さんが代打で出ていい結果にならなかった時なんかは、近寄らないようにしていました(笑)。」
(トークセッションはまだまだ続きます!)
自然に、素直に考えてみる。
むかーし昔、小学生のころ、ファミコン(ファミリーコンピューター)でスーパーマリオブラザースあたりを遊んでいたとき、
妹だったか、祖母だったか、とにかくゲームに不慣れな人がプレイすると
「ワー!敵が来る!!ジャンプで避けなきゃ!!!」とコントローラを思い切り上に向かって振り回したりするけれど、
当然そんなことでマリオがジャンプするわけもなく、
「そうじゃなくって、ジャンプはAボタンだよ!!」
などと、イライラ半分、馬鹿にした半分で操作方法を教えたりしていた。
20年くらい前、Windows95とかのパソコンが世の中に出回り始めたころ、
”パソコン教室”で「画面上のアイコンをクリックしてください♪」という先生の呼びかけを聞いて、
マウスを右手で持ち上げ、画面に押し当てるオジサンってのがいて、
「これだからオジサンは・・・」などとひそかに嘲笑の的になっていた。
んだけど、今よく考えてみると、
・画面内のキャラクターをジャンプさせたかったらコントローラーを振り上げるのが自然で直観的だし
・画面内のアイコンをクリックしたかったら直接画面に触れるのが自然で直観的だと思う。
「これはこうするのが当たり前、それを理解できないのが悪い」みたいな思考を一歩外して、
「本当に自然で直感的で、無理のないやり方ってなんだろう」って考えてみるのは大事なんじゃないかと思う。
近所で、タンポポが咲いていました。
少し、西浦和駅まで、走りました。
天気予報は一日中雨、だったので走るのは無理かなーと思っていたのですが、
部屋の窓から外見ると小雨っぽいのでちょっと走ってみることにしました。
15;19 小雨がパラパラ、ギリ傘無くてもいいくらいの天気でスタート。
西へ、武蔵浦和駅前を通過し、国道17号線バイパスまで出るルートです。
南北に走る、京浜東北線・東北本線の線路の下を横切ります。
割とアップダウンある感じです。
住宅地の中を進みます。
15:41 武蔵浦和駅前を通過。
この辺りから、少し雨が強くなってきたかなーと思ったので、当初予定を変更して、早めに切り上げることにしました。
15:53 田島団地前を通過
国道17号線バイパスに到達。元々はここで左折(=南下)して外環道方面を目指すのですが、今日は早めに切り上げるため、右折(+北上)します。
16:00 今日のゴール地点、武蔵野線西浦和駅に到着。
今日は、約5km。家から西浦和駅まで5kmということ覚えられて良かった。
雨にずぶ濡れになる前に、とっとと切り上げました。
「カープはもっと強くなる」(廣瀬純)
に行ってきました。
広島県が今進めている、「魅力ある建築物創造事業」の取り組みの一環でのイベントです。
カープファンですが大のマツダスタジアムファンでもある私、カープOBの廣瀬純さんはもちろんのこと、マツダスタジアムを設計した、環境デザイン研究所会長、仙田満先生のお話も、大変興味深かったです。
色々メモはしたのですが、その内容を書いて良いかどうかは今主催者様に確認中なので、まずは多分、公開OKなこの画像を。
廣瀬純さんが今度、「カープはもっと強くなる」という本を出されるとのことで、そのアピールを、されていました。
交流会では廣瀬純さんにビールを注いでいただき(!)(すかさず御返杯差し上げました)、また初対面の方々とカープ談義で盛り上がり、あっという間の2時間半、でした。
車の思い出 その2 トヨタ RAV4
妻が独身時代から乗っていたものを結婚後も引き続き乗っているというものです。
形式はTA–ACA21W
2000年にフルモデルチェンジされた「2台目」に当たります。
初回登録は平成14年6月なので今から15年前。2002年式です。もうすぐ15年になります。
エンジンは2.0L直噴の1AZ–FSE型
4WD、4速AT。
デミオから乗り換えた時の感想は、
「加速の感じはデミオと同じ。だけど、スピード出た時の音は圧倒的に静か」
60km・hくらいを越えるとゴーゴーガーガーとにかく騒々しかったデミオと比べると、静かに感じたものでした。
RAV4は家族と共にある車です。
娘が生まれた時も、いや生まれる前に妻を病院に連れていった時の思い出も、RAV4と共にあります。
後席左側は娘の指定席で、産院から家に帰る時、最初はベビーシートをベッド型(カゴ型?)にセットし、やがて椅子型に置くようになり、その後チャイルドシート、ジュニアシート、となり、今は普通に、やはり後席左側に座りシートベルトをしています。
チャイルドシートを椅子型にしていた時
雨の日の買い物も
紅葉のドライブも
ショッピングモールの駐車場にて
ETCは後付けでした。 2008年か2009年くらいに取り付けました。
懐かしの「ETCなら高速道路1000円!」の時、2009年7月の夏休みの真っ最中、埼玉から名古屋まで12時間(!)かけて大渋滞の中帰省しました。
ATのシフトレバー
ナビの地図情報は今でも更新版DVDが出ているようですが、新しい道路なら道路標示見ればわかる!と、2000年くらいの情報のまま、走っています。
なので、
首都高速中央環状線(C2)を板橋JCTから大橋JCT〜品川JCT方面に、山手トンネルを走ると、ナビ上は地上の一般道を猛スピードでぶっ飛ばしている…と。
スペアタイヤ
妻がこの車を購入してから15年、いよいよ次の車への交代が時期が迫って来ました。