今度は上尾から走る
15:26
「ジオタウン上尾駅前」の前あたりで軽く柔軟体操しスタート
程なく国道17号線に出る。
ここから南下開始。北に向かう、反対車線が結構混んでた。
さいたままでは16km、家までは約19km
とにかくのんびり、のんびりと
息が浅くなりすぎないように。
前方Y字路あり。右に進むと国道17号線を引き続き、左は埼玉県道35号”産業道路”
分岐点を左に。ここが産業道路の起点となる
手や足に、ヘンに力が入らなように。
放っておいても走り続ければ疲れは出る。自分で自分の体に力を入れて疲れさせることはない。
15;44
産業道路スタート
県道35号線の標識
国道16号線との交差。大きな道との交差は歩道橋を渡ることになる。
歩道橋の上り坂、階段では歩くようにし、足の負担を軽くする。
東北・上越新幹線の下をくぐる
道中見つけた梅の木。春は近づいています♪
東武野田線の上を渡る。「雲間から光が差し」ていた
16:30
NACK5スタジアム大宮の横を走る。
大宮アルディージャ対川崎フロンターレ戦が行われていたようだ。
走っている道路にも、オオオオオというスタジアムの歓声が聞こえてきた。
さいたま新都心付近を通過
さすがに後半になると写真撮るペースが落ちてくる。
ここはもう家の近所
17:47
すっかり日は暮れて、家近くの公園着
今日は(いつもだけど)のんびりのんびりを心がけ、まずは無停止で走り切ることができた。
軽い筋肉痛・関節痛が心地良い。
カープ観戦記 その1 2005年10月7日 神宮球場
私の好きなカープに関する、心に残る現地観戦記録を紹介します。
1回目は2005年10月7日神宮球場 での、対ヤクルトスワローズ戦です。
この日の試合開始時点で既にカープは最下位が決定し、山本浩二監督は辞任が決定。
対戦相手のスワローズ側から見るとこの日は本拠地神宮球場での最終戦なので謝恩価格で1000円で外野自由席入場可。
ただしローテーションの関係で先発させるのはキツイ。というのも先発した場合には最低限5イニングを投げ、かつ降板した時点でチームが勝っており、跡を継いだ投手が(当たり前だが)チームが勝った状態で試合を終えなければならない。
であるならば、ローテーション通りの先発投手とし、試合展開によって途中から黒田投手を登板させた方が勝ち投手になる可能性は高くなる。
先発は大竹寛。大竹寛投手は4イニングで(つまり勝利投手の権利は持たずに)予定通り降板し、5イニング目から黒田の登板となった。
「黒田に勝ちをつけて最多勝をとらせるため」と捉えればいかにもセコイと感じるかもしれない。しかし、ここまでのこのシーズン14勝12敗11完投、先発として勝敗が決するまで投げ続けた黒田に、最多勝を決定付ける15勝目だけはこのような形でつけても許されるのではないだろうか。
それにいくらこのように「計らい」をしようとしても、先発の大竹や黒田本人が打たれて勝敗が決してしまえば、あるいはそうでなく相手投手を打ち崩せずチームが負けてしまえはそもそも勝ち星など付かないわけだし。
2-2の同点の5回から黒田登板。
その後両チーム2点づつ取り合って4-4となった8回の表にカープが3点を取って勝ち越し(記憶にはなかったが勝ち越し(そして決勝打となる)三塁打を放ったのはアライさんこと新井貴浩)8回の裏を投げ切り黒田は降板。
9回表に6点を追加し13-4と勝利を決定付けて最後はJ・ベイルが1イニングを締めて投げ勝利。黒田に15勝目となる勝ち星が付き最多勝が決まった。
(黒田博樹投手はその後2008年よりMLBに移籍し2015年に再びカープに復帰。2016年に日本で引退するまで挙げた日米通算203勝のうち、先発以外で挙げた勝利はこの日の1勝のみ。)
とにかく勝った。それも大差勝ち。
とにかく飲んだ。飲んで叫んだ。
3月にシーズンが始まってすぐに低迷。6月からはずっと最下位で終わったカープ。それでも黒田が投げる試合だけは、他のチームに劣等感を感じることはなかった。
だからこの日だけは、とにかくこの日だけはシーズンの成績のことは忘れて、この日の勝利だけ、勝利の美酒に酔った。
この年は前述の通り、成績不振の責任を取り山本浩二監督が辞任。
神宮球場は選手達が引き上げる際、レフト側の外野席前を通って行く。
写真が不鮮明で、記憶も曖昧なのだが、多分山本浩二監督がレフトスタンドのカープファンの呼びかけにに、手を上げて挨拶をしてくれていたような気がする。
あるいは、同じく今シーズン限りで引退が決まっていた野村謙二郎内野手だったかもしれない。
この年43本塁打を放ちホームラン王となった新井貴浩と15勝で最多勝を獲得した黒田博樹、この2人を擁しても優勝どころか最下位に終わったカープ。
ミスター赤ヘル山本浩二の顔にも泥を塗る結果となり、何をどうしたら勝てるようになるのだろうかと感じていた。
シルエット的に、野村謙二郎選手かな?
フェンス際まで駆け寄った
来シーズンまでのしばしのお別れ
帰りに信濃町駅付近の居酒屋で祝勝会。
多分、カープのことをこれでもかと語り、同行者に少し引かれていたのをうっすら覚えている。
ハードディスク
古いパソコンを捨てる時に、ハードディスクだけは取り外して取っておいた。
情報漏れが怖いのと、あと、何か使い道があれば…と思ったが、さすがに容量64Gbyteでは使い道もなく(ちなみに私のiPhoneは128Gbyte)、やっぱりバラして捨てることにした。
壊す前提なので、遠慮なくバラす。
複数枚の円盤のそれぞれに情報が書き込まれているわけですが、それぞれの円のに同時にアクセスできるよう、フォークのように複数連なったヘッドが差し込まれています。
…ってなことを昔習った記憶があるが、まじまじとみたのは初めて。
ハード(硬い)ディスクというだけあって、本当に硬い。昔あったフレキシブルディスク(フロッピーディスク)の「柔らかさ(曲がる)」に対して硬いという意味での命名ということは知ってはいたが自分でバラしてみて、改めて納得した。
そして全く知識として無かったことは「下手な鏡よりもとてもよく「映る」」ということ。
ハードディスクには情報が書き込まれていて、何かの理由でそれが損なわれてしまうと、基本的には取り返しがつかない。
仕事柄、それは私が最も恐れる事態の一つだ。
世の中に同じ型番の製品が売られていればそれを入手することは可能だが、中身の情報までが戻って来るわけではない。
それが、同じものを買ってくれば取替え可能な他の構成要素との根本的な違いとなる。
そこまで重要なせいか、各部品が丈夫に組み立てられていて、バラすのも大変だった。(鉄ハンマー?みたいので一気に粉砕とかすれば別だが)
壊して捨てるつもりならともかく壊さず直すつもりでこれを分解するのは、相当な腕が必要だと感じた。
階段とエスカレーターが
・階段とエスカレーターが並行に設置されていたら、階段を使う。登りも下りも。
・夕飯は米や麺、パンなどいわゆる炭水化物は摂らない
・清涼飲料水は飲まない(炭酸水を飲む)
・肩掛け鞄は、左右どちらかに偏らないようにかける
・食べ物は野菜から食べる
*ビールは飲みます。毎日じゃないけど
あと、お昼のラーメンはおいしい
気がつけば最古参185系電車
185系電車というのは、東京から伊豆半島に向かう特急に使われている
↓これのことです。(小田原駅にて)
小学生の時、これが登場した時は
「まさに新型!」という感じで
白地に緑の斜め線のスタイルがとても新しい電車でした。
座席がリクライニングしない(*1)ので特急らしくないとか、扉が1両の片側に前後2箇所もあって特急らしくない(*2)とか、その道の専門の方?にはあまり良い評価をされない車両ではありましたが、
登場当時青い布張りの椅子と薄緑の壁、というよく言えば寒色系、はっきり言えば寒々とした車両ばかりだった中、185系は木目調の壁紙に茶色のシートと、別世界のような車内でした。
*1…今はリクライニングシートになってます
※2…当時はなぜかそうだった。
走行メカニズム的には、登場した段階で既にそれほど新しいものではなく(つまりこれは国鉄末期の技術的停滞期にあたる)、従って今の技術から見るとかなり古いものではあるのですが、使い勝手が良いのか、21世紀の今でも特急として、あるいは通勤ライナーとして活躍しています。
走行メカニズムの世代的にはこれと同じに当たる(左のほう・水上駅にて)
↓
中央線「あずさ」や房総方面の「さざなみ」や「わかしお」、常磐方面の「ときわ」「ひたち」あるいは成田エクスプレスなど、続々と新型車両に置き換えられて行く中、奇跡的に(?)まだ生き残っています。
↓藤沢駅にて、後ろ姿
いつかお別れの日が来るのだろう、とも思いますが、房総方面と違い伊豆方面の特急はそこそこ人気があって切迫した、てこ入れの必要がないのか、粘り強く生き残っています。
それでは、さよなら!