カープ観戦記 その3 2016年8月5日
カープ観戦記の第3回は、昨年2016年8月5日
2012年以来5年連続5回目の
今年は対読売ジャイアンツ戦
*両親が広島県に住んでいるので、夏休みの帰省の時期には必ず観戦に行きます。
チケットを買ったのはその年の3月1日
一斉発売の日の昼休みに、会社近くのセブンイレブンでゲットしました。
夏休み時期の時期は、カープの試合のスケジュールをにらみつつ日程を決めるのですが、
まだ開幕前の段階で、帰省の時期にカープのチーム状態がどうなっているのかとか、相手チームとの相対的な力関係の差がどうなっているのかとか、それは全然わからないままでチケットを買うので、一種の賭けです。
その年の強いチームとの対戦になるのか、カープはすでに諦めモードに入っているのか、それとも必死に順位争いをしているのか、
3月の段階では知る由もないため、全ては賭けです。
さて、3月に買った8月5日のチケット、一体どんな状態でその日を迎えたかというと…
2016年のカープは3月25日の対横浜DeNAベイスターズ戦こそ敗戦で黒星スタートだったが、翌日、翌々日と勝利し3連戦勝ち越しスタート
以降も接戦を確実に制し、また、2連敗はあっても3連敗はないという安定したチーム状態。
交流戦でもセ・リーグ唯一の勝ち越し、交流戦明けにかけて球団記録にあと一つまで迫る、32年ぶりの11連勝をマーク。
2位読売ジャイアンツに10ゲーム差をつけ、ぶっちぎりの首位で7月13日に前半戦終了。
7月18日に始まった後半戦でも勢いは衰えず、2位とのゲーム差は最大11まで広げ、独走体制であったが…
8月2日の神宮球場での対東京ヤクルトスワローズ戦で、ウラディミール•バレンティン外野手が空振りしたバットがカープの石原慶幸捕手の後頭部を直撃し、試合出場不可能となりチームの司令塔を失う事態に。
それでもこの日は16-4で勝利したものの、翌3日・翌々日4日と連敗し2連敗。
一方2位読売ジャイアンツは調子を上げ、ゲーム差も6.5ゲーム差まで迫られた状態となった。
しかも翌5日は早朝に品川の宿舎を出発して広島に新幹線で移動し、夕方からの試合を行わなければならないという、厳しい状態で迎えた8月5日の対読売ジャイアンツ戦であった。
スタジアム入り口に向かうスロープ
今回は指定席なので、行列・席取り不要でゆっくりと行ける。
入場してすぐ。
頭上に「ゲートブリッジ」を望む
球場内を、内外野隔てなくぐるっと一周しているコンコース。
内野指定席に着席。対戦相手の読売ジャイアンツの選手たちの練習中であった。
野球を観戦するために最適化されたスタンド。傾斜角度は約9度と、日本の一般的な野球場に比べ5度から10度程度緩やかであり、また基本的に全ての座席がピッチャーズマウンドとバッターボックスの間を向くように配置されている。
試合開始まではまだ間があるので、コンコースをぐるっと一周。
ここは「コージーテラス」
黒田博樹投手と新井貴浩内野手、2016年カープの象徴たる二選手のユニフォームを着込んだ親子連れ。
試合前にノンビリと球場内を散策し、飲み物や食べ物を調達する。
両チーム、エース級の投げ合い。
エクトル・ルナ内野手。今日は3安打2打点の活躍。先制し、同点に追いつかれた3回裏の勝ち越し打、再度同点に追いつかれた7回裏に再度の勝ち越し打と、価値ある2打点であった。
菅野投手、途中一時治療のためベンチに下がる場面あり。真夏の瀬戸内・広島の暑さはハンパない。
治療のため一旦引き上げたベンチからマウンドに戻り投球練習。
丸佳浩外野手。本日は5打数2安打。
野球観戦に最適化されている、というのは座席の配置やスタンドの勾配角度に表現されているがそれだけではない。
プロ野球は試合開始から終了まで大抵は3時間以上、4時間にも迫ることも多い。
そんなにじっと見ているのはしんどい…と感じる人もいるかもしれない。
ただ、野球観戦というのはその試合中、ずっと座席に座ってグラウンドを凝視し続ける、というものではない。と私は思う。
攻撃の時間と守備の時間がきっちり分かれている野球という競技においては、例えば応援チームの守備時には座席を立ち、飲み物や食べ物を調達に行ったり、喫煙所に一服しに行ったり、トイレに行ったり、思い思いに過ごす時間というものがある。
このスタジアムにはそれに加えて球場内をブラブラする楽しみというものがある。
前述のように傾斜の緩いスタンドや、前後幅広い座席配置はコンコースへのアクセスを容易にし、ブラブラのニーズに応えてくれている。
球場を一周するコンコースは道幅最大12メートル、コンコースのどこからでもグラウンドを眺めることができる。
内野2階席。
2階席はグラウンドから最も遠く、スタジアム内で最も安価な席であるが、それでも驚くほどグラウンドを近く感じる。
そして夕暮れの空には最も近い。
コンコースの一部エリアには、本球場の命名権取得者であるマツダ株式会社の歴史を壁面に掲載したコーナーあり。
様々な飲食販売店を横目に、コンコースをブラブラ歩く。
GEORGIAの看板が見えてくる。コンコースに面した階はカープのオフィシャルグッズショップ、その上階はスポーツジム。
スポーツジムでは、エアロバイクを漕ぎながら試合を観戦することができる。
ポール際。
バックスクリーン裏。すっかり日も暮れた。
バックスクリーン裏にはバーゴラ(アーケード状の骨組み)が設置され、暑さ避けのために竹すだれが配置されている。時期によってはゴーヤや朝顔が這わされている時もあるらしい。
7回裏、2-2の同点で迎え、ここで応援歌の合唱と共に赤色の風船(通称、ジェット風船)を飛ばす。
赤色の風船が舞う。
その7回裏にエクトル・ルナ内野手のタイムリーヒットで勝ち越し。
大いに盛りあったのだが…
その後8回表に同点に追いつかれると、9回表に坂本勇人内野手にタイムリーヒットで勝ち越しを許し、さらに阿部慎之助内野手に犠牲フライを打たれ3-5とされた。
九回の裏、ジャイアンツの澤村拓一投手から1点を返して1点差に詰め寄り、なおも2アウト2塁と同点・逆転への望みをつなぐも反撃もここまで。
2016年初の3連敗を喫し、2位読売ジャイアンツには5.5ゲーム差まで接近され、残念な気持ちで球場を後にした。
広島駅に向かう帰り道。
4.5ゲーム差まで迫られいよいよ窮地に。
さらにその次の日の8月7日の、同じくジャイアンツ戦では1点差負けの状態で9回裏2アウトランナー無しまで追い込まれる。
しかしここから菊池涼介内野手の起死回生の同点本塁打、丸佳浩外野手のフォアボールでの出塁から、新井貴浩内野手のサヨナラタイムリーヒットが飛び出し、見事に逆転勝利。
この勝利がターニングポイントとなりカープの反転攻勢開始。
振り返ってみれば2016年カープの連敗は最大で4。この時と日本シリーズで北海道日本ハムファイターズに喫した時との2回のみ。
ペナントレースを2位読売ジャイアンツに17.5ゲーム差離しぶっちぎりで優勝した2016年カープの、最もチーム状態の悪いタイミングでの観戦であった。
お金を払って観戦する以上、勝つことは最も大事だとやはり思う。
残念ながらそれは達成できなかったが、その次くらいに美しい球場を楽しむことができた観戦であった。
新座から、走る。
新座駅の駅前
「さあみなさん、歩きましょう」
→はい、走ります。
13:58 スタート
駅前すぐに、国道254号線に出ます。
東京外環自動車道に突き当たるところで左に曲がるため、国道254号とはここでお別れ。
外環道脇の住宅街の道に入る。
14:47 登ったり、下ったり。近くの掘割を外環道が走っていると思えないほど静か。
東武東上線・和光市駅付近。地下道で東上線の線路をくぐります。
途中で見かけた花
15:01 国道298号の起点というか0キロポスト?
幸魂大橋を渡る。風が強い日は寒いとか向かい風だと走りにくいとかいう以前に怖い
風でフラフラ流されて川に落ちちゃうんじゃないかみないな怖さがある。
のだけど、今日は天気良く風も穏やか。
橋だけで2kmくらい。渡り終え、再び地面の上へ
さらに西に進み、京浜東北線の線路を越える。
外環浦和IC付近。
ここまでくればゴールの家は近い
16;00 ベルヴィ武蔵野前を通過。
今日も何組ものウエディングパーティあり。
御幸せに!
あちこちで花を見かけました。多分これは梅。
花粉は…超飛んでたらしいけど今の所今年も症状なし
車両の中の写真って少ない
昔の鉄道車両の写真というのは、それなりに残っている。戦前の山手線の車両の写真、というのを見たければ、ググれば簡単に閲覧できる。
なのだが、戦前の山手線の車内の写真、となると途端に少なくなる。
戦前の山手線の、通勤時間帯の車内ってどんな風だったのか、そもそも通勤ラッシュみたいなのはあったのか、服装はどうだったのか、どんな風に過ごしていたのか、新聞や本を読んだりしていたのか、男性ばかりだったのか、中吊り広告みたいなのはあったのか、などなど、興味は尽きない。
言うまでもなく今でも車内の写真を撮ることは難しい、と言うか人がいる状態で撮影することは不可能。
空いている時に、人が写らないように…
広告が写るように…
水上から新潟県に向かうE129系
これはバス車内、終点付近でガラガラな時
できない とはどういう状態か
できない
とは
どういう状態だろうか
アメリカに行って
ドジャースタジアムに立ち
日米通算3000本の安打を放つ
ということはできない
ということか
あるいは
札幌ドームのマウンドに立ち、時速160㎞以上の速球を投げることはできない
ということだろうか
そういうことは
確かに
できないこと
として挙がってしかるべきこと
と思うが
では、ふだん日常で遭遇する
できないこと
というのは
そう言った領域に属すること
なんだろうかと
少し思う
できないこと
というのは
•今の自分にはできないこと
なのか
•世界の誰も、やったことがないこと
なのか
余りにも広いその溝のどこに自分はいるのか
意識しておく必要があるように思う
お雛様を、飾りました
写真は
家のお雛様の様子です
カープ観戦記 その2 2011年10月25日
カープ観戦記の2回目は、2011年10月25日の
10月25日という遅い日付だけあって12球団を通じて2011年のレギュラーシーズン最後の試合。
従って対戦相手のスワローズにとってもシーズン最後の試合であった。
この年のカープは60勝76敗8分け、勝率.441、首位中日と16ゲーム差の5位。
5位となるのは3年連続。1998年から13年連続のBクラスとなった年であった。
先発投手はここまで10勝11敗の前田健太。前年の15勝(最多勝獲得)から少し調子を落とし、不完全燃焼のシーズンではあったと思う。せめてこの最終戦で11勝目を挙げ、11勝11敗のタイに持ち込めれば…という試合であった。
試合はお互いに点が入らず、7回表にカープが1点を先制し、1-0。
先発・前田健太は相手に一点も与えず、と言うか一本のヒットも打たれず。
…ノーヒットノーラン、という歴史的な瞬間に立ち会えるぞ、と同行者とザワザワし始める。
7回裏、8回裏もヒットを許さず、ノーヒットのまま9回裏スワローズの攻撃へ
先頭のジョシュ・ホワイトセル内野手を三振に仕留めいよいよあと2アウトであったが…
続く藤本敦士選手に初安打(レフト線二塁打)を許し、ノーヒットノーランの夢は潰えた。
三塁手の脇を鋭く抜け、カープファンの集まるレフト側の外野に点々と抜けた打球と、それを呆然と眺めていたその時の自分のことは、今でもハッキリと覚えている。
それでもヒットを打たれても勝てれば良い、と思い直して観戦していたが、ここから前田健太投手は一気に崩れ、畠山和洋内野手のセカンドゴロで同点とされ、福地寿樹外野手にサヨナラヒットを打たれ、
ノーヒットノーランどころか勝ち星までもが、掴みかけた手からスルリとすり抜けてしまった。
翌日の新聞記事
シーズン最後の試合でノンビリと観戦のつもりが思わぬ緊張感に包まれることとなり、しかも結果は負けてしまった試合ではあったが最後までドキドキしながらシーズンを終えることができた。
この日、あと2アウトまで来ながらノーヒットノーランを逃した前田健太投手は翌2012年シーズン開幕すぐの4月6日、相手は違うが対横浜DeNAベイスターズ戦でノーヒットノーランを達成。あまりにも見事なリベンジであった。
前田健太投手は、低迷を続けた1990年代後半から2000年代までのカープが、再び浮上して行く象徴のような選手であった気がする。
投手として97の勝ち星を挙げ、つまりそれだけカープの勝利に貢献したのみならず、マスコミとのサービスたっぷりのやりとりで一躍有名人となり、地味で存在感のない、という低迷期カープのイメージを払拭した貢献は計り知れないと思う。
ヒトサマに迷惑をかけない
じゃない。むしろ、互いに少しづつ迷惑をかけあえ。ただし適度に。
家庭にしたって、仕事にしたって、趣味にしたって、
「それだけやってりゃいいってわけじゃない」タイミングは常に存在する。
どうしてもひとの助けを借りないといけない場面は、どんなひとにも必ず来る。
いつでも青い空ばっかりじゃあない。
切ない夕暮れの日も必ず来る。
写真はちと強引だったか。
悲しいときー
悲しいときー (悲しいときー)
そこそこ混んでる通勤電車なのに、自分の隣だけ誰も座らないときー
悲しいときー(悲しいときー)
週刊誌のちょっとエッチなページを熱心に立ち読みしているおじさんを見たときー
悲しいときー(悲しいときー)
自分の書いたメモの字が汚くて後から読めなかったときー
悲しいときー(悲しいときー)
朝新聞を買ったけど電車が混みすぎて全く読めなかったときー
悲しいときー(悲しいときー)
会社支給の業務用携帯ばかりに電話やメールが来るときー
悲しいときー(悲しいときー)
自分が部屋に入った瞬間に、空気清浄機のニオイセンサーがMaxに反応したときー
悲しいときー(悲しいときー)
夕日が沈むときー(夕日が沈むときー)