カープ観戦記 その1 2005年10月7日 神宮球場
私の好きなカープに関する、心に残る現地観戦記録を紹介します。
1回目は2005年10月7日神宮球場 での、対ヤクルトスワローズ戦です。
この日の試合開始時点で既にカープは最下位が決定し、山本浩二監督は辞任が決定。
対戦相手のスワローズ側から見るとこの日は本拠地神宮球場での最終戦なので謝恩価格で1000円で外野自由席入場可。
ただしローテーションの関係で先発させるのはキツイ。というのも先発した場合には最低限5イニングを投げ、かつ降板した時点でチームが勝っており、跡を継いだ投手が(当たり前だが)チームが勝った状態で試合を終えなければならない。
であるならば、ローテーション通りの先発投手とし、試合展開によって途中から黒田投手を登板させた方が勝ち投手になる可能性は高くなる。
先発は大竹寛。大竹寛投手は4イニングで(つまり勝利投手の権利は持たずに)予定通り降板し、5イニング目から黒田の登板となった。
「黒田に勝ちをつけて最多勝をとらせるため」と捉えればいかにもセコイと感じるかもしれない。しかし、ここまでのこのシーズン14勝12敗11完投、先発として勝敗が決するまで投げ続けた黒田に、最多勝を決定付ける15勝目だけはこのような形でつけても許されるのではないだろうか。
それにいくらこのように「計らい」をしようとしても、先発の大竹や黒田本人が打たれて勝敗が決してしまえば、あるいはそうでなく相手投手を打ち崩せずチームが負けてしまえはそもそも勝ち星など付かないわけだし。
2-2の同点の5回から黒田登板。
その後両チーム2点づつ取り合って4-4となった8回の表にカープが3点を取って勝ち越し(記憶にはなかったが勝ち越し(そして決勝打となる)三塁打を放ったのはアライさんこと新井貴浩)8回の裏を投げ切り黒田は降板。
9回表に6点を追加し13-4と勝利を決定付けて最後はJ・ベイルが1イニングを締めて投げ勝利。黒田に15勝目となる勝ち星が付き最多勝が決まった。
(黒田博樹投手はその後2008年よりMLBに移籍し2015年に再びカープに復帰。2016年に日本で引退するまで挙げた日米通算203勝のうち、先発以外で挙げた勝利はこの日の1勝のみ。)
とにかく勝った。それも大差勝ち。
とにかく飲んだ。飲んで叫んだ。
3月にシーズンが始まってすぐに低迷。6月からはずっと最下位で終わったカープ。それでも黒田が投げる試合だけは、他のチームに劣等感を感じることはなかった。
だからこの日だけは、とにかくこの日だけはシーズンの成績のことは忘れて、この日の勝利だけ、勝利の美酒に酔った。
この年は前述の通り、成績不振の責任を取り山本浩二監督が辞任。
神宮球場は選手達が引き上げる際、レフト側の外野席前を通って行く。
写真が不鮮明で、記憶も曖昧なのだが、多分山本浩二監督がレフトスタンドのカープファンの呼びかけにに、手を上げて挨拶をしてくれていたような気がする。
あるいは、同じく今シーズン限りで引退が決まっていた野村謙二郎内野手だったかもしれない。
この年43本塁打を放ちホームラン王となった新井貴浩と15勝で最多勝を獲得した黒田博樹、この2人を擁しても優勝どころか最下位に終わったカープ。
ミスター赤ヘル山本浩二の顔にも泥を塗る結果となり、何をどうしたら勝てるようになるのだろうかと感じていた。
シルエット的に、野村謙二郎選手かな?
フェンス際まで駆け寄った
来シーズンまでのしばしのお別れ
帰りに信濃町駅付近の居酒屋で祝勝会。
多分、カープのことをこれでもかと語り、同行者に少し引かれていたのをうっすら覚えている。