Maasan’s blog

カープとジョギングと鉄道、カメラ散歩車と日々雑感を少々、思ったことと経験したことを書いてます

「エビデンスのヒエラルキー」

単なる「ボクの思い」ではなく、ある程度の根拠を持って主張するのであれば、それなりの根拠が要ると考えます。

単なる意見の開陳であれば別になんでもいいのですが、色々な人の生活を左右する制度なり方針なりを決めるとするならば、なおさらです。

その根拠=証拠=エビデンスは、捏造ではなく事実に即したものであることが求められるのは当然なのですが、では事実に即したものであれば何でも横並びで扱われるのではなく、エビデンス間で信頼度の階層(ヒエラルキー)が存在します。

最下層(信頼度は低い)から、最上位(信頼度が高い)までを並べると
(例えば、「喫煙がどのくらい寿命の長さに影響するのか、しないのか」を例に)

・専門家の意見
    →文字通り。○○先生によると…

・基礎実験

    →環境を限定した実験結果。
(ニコチンを定期的に注射したマウスとそうでないマウスを用意し、寿命を比較する、とか、細胞に副流煙の成分(?)を噴射して、ただ空気を吹きかけたものとの分裂速度を比較する、とか)

・疫学、観察研究

    →現実の、広範な実績を収集する。
(20歳の時点でタバコを吸っている人、吸わない人をその後数十年にわかり追跡調査し、結果を見る)

ランダム化比較実験
    →条件を揃えて実際に試す
(全世界の、生まれたばかりの赤ちゃんに全員に結果が「A」「B」どちらかの結果になるようなクジを引かせ(もちろんどちらのクジを引くかはランダムに決まるよう工夫する)、「A」のクジを引いた人は生涯一定量のタバコを吸い続け、「B」のクジを引いた人は生涯タバコを一切吸わない。
「タバコを吸うか吸わないか」以外の条件(人種・国籍・性別・職業・栄養状態・思想信条その他無数の要素)が、ランダムなクジを引かせることで限りなく同一になるようにした上で、比較を行う)

・メタアナリシス、系統的レビュー
    →前項までの複数の結果をまとめて分析する
「メタ」「アナリシス(=分析)」すなわち、「分析群の分析」や、その対象とする分析に偏りが生じないようにする。

当然のことながら、実際にはできない(倫理的に行ってはならないと考えられる、であるとか費用や手間が現実的ではない)試験というものもあり、できるだけのデータを集め比較をする。

医学の世界で、新薬の承認や治療法の評価では当り前とされている考え方ではあるが、例えば会社経営や教育の分野ではどうだろうか。

「先生(先輩、上司)は生徒(後輩、部下)に厳しく接した方がいいのか、優しく接した方がいいのか」
体罰は無条件で禁止すべきなのか、状況によっては有効なのか」
「満遍なく、知識をひたすら詰め込んだ方がいいのか、興味のあることだけやらせた方がいいのか」
「生産性をあげ、短時間で結果を出すにどうしたらいいのか」

もちろん、「究極的には、A・Bどっちでも良くて、最悪なのはどっちもしないこと」という「問題」も数多くあるし、データ自体の収集がきわめて行いにくいとか、声の大きい人の意見に従うこと自体に意味がある、という場合もあるだろう。

ただ、「今行なっている議論は何らか根拠があってやっているのか、根拠のような服を着た個人的な思いを出し合っているのか」は、意識しておきたいと思っています。