Maasan’s blog

カープとジョギングと鉄道、カメラ散歩車と日々雑感を少々、思ったことと経験したことを書いてます

カープ観戦記 その4 2005年5月28日

カープ観戦記第4回は2005年5月28日(土)の、対西武ライオンズ戦です。

 

場所はインボイスSEIBUドーム(名称は当時のもの。執筆時点では西武プリンスドーム。さらにメットライフドームに変更予定)

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生まれてまだ1歳になっていない娘をベビーカーに乗せてのお出かけ観戦。

それ故に今残っている写真はスタジアムや選手ではなく娘の写真だらけで、そうでないのはこれくらい(入場の時の行列)↓

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試合展開よりも勝敗よりも何よりも、この日の記憶は

尾形佳紀内野手の負傷退場

しかない。

 

尾形佳紀内野手は2003年オフにドラフト4位指名を受け、本田技研工業野球部から広島に入団。

一年目の2004年シーズンの終盤8月以降先発メンバーに定着。2年目となる2005年は開幕スタメンとして出場、思い切りのいいスイングで(例えるなら小笠原道大内野手のような)安打を量産、打率3割を超え不動のスタメンとして定着しつつある時期であった。

 

 このような即戦力選手がそもそもカープに入団したのは理由がある。大学時代に右膝前十字靭帯の怪我をしていたため、大学卒業時にはプロ野球チームからは声がかからなかったのである。

怪我さえなければ超一流選手との評価があった中、その可能性に賭けたカープが指名したことによりプロや野球選手として少し遅めのスタートを切ったのであった。

 

怪我の状況は、よく覚えていない。

今改めて当時の記録を見てみたところ、二塁の守備でセカンドゴロを捕球し一塁手に送球した際のことであったとある。

覚えているのは、うずくまったまま動けなくなり、トレーナーの背中に背負われてベンチに引き上げて行く尾方選手の姿であった。

後日、負傷部位は古傷の右膝前十字靭帯であったことが発表され、即3軍落ち。2005年のシーズン中に復帰することはなかった。

そして翌2006年もシーズン直前に再度膝を負傷し1年間出場なし。

その後、膝への負担を軽くするため外野手に転向するも2005年の輝きを取り戻すことはできず、2009年のシーズン終了後に引退。

 

試合は9回表に嶋重宣外野手のタイムリーヒットで3-3の同点に追いつき延長戦に突入するも10回裏に連打とワイルドピッチ、フォアボールで作った無死満塁のピンチから細川亨捕手のタイムリーヒットでサヨナラ負け。

 

この日のSEIBUドームでの怪我が、事実上尾形佳紀選手の選手としての命運を決してしまったように思う。

いや、入団する前からどこかでこうなることは決まってしまっていたのかもしれない。

 

尾形佳紀氏は引退後、カープのスカウトに就任。関東地方の担当として田中広輔、鈴木誠也と現在のカープを担う好選手を発掘した。

安定した会社生活を捨てプロ野球の世界に転向し、思い切りの良いスイングでファンに夢を見せてくれた。

怪我に泣き、一流と呼ばれることはなく終わった現役時代であったが再度、今度はスカウトとしてカープファンをワクワクさせてくれている。

 

にしてもこの日は負傷退場にサヨナラ負けと実にしょっぱい野球観戦であった。