Maasan’s blog

カープとジョギングと鉄道、カメラ散歩車と日々雑感を少々、思ったことと経験したことを書いてます

カープ観戦記 その2 2011年10月25日

カープ観戦記の2回目は、2011年10月25日の

神宮球場での対ヤクルトスワローズ戦です。

 

10月25日という遅い日付だけあって12球団を通じて2011年のレギュラーシーズン最後の試合。

 

従って対戦相手のスワローズにとってもシーズン最後の試合であった。

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この年のカープは60勝76敗8分け、勝率.441、首位中日と16ゲーム差の5位。

5位となるのは3年連続。1998年から13年連続のBクラスとなった年であった。

 

先発投手はここまで10勝11敗の前田健太。前年の15勝(最多勝獲得)から少し調子を落とし、不完全燃焼のシーズンではあったと思う。せめてこの最終戦で11勝目を挙げ、11勝11敗のタイに持ち込めれば…という試合であった。

 

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試合はお互いに点が入らず、7回表にカープが1点を先制し、1-0。

 

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先発・前田健太は相手に一点も与えず、と言うか一本のヒットも打たれず。 

 

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ノーヒットノーラン、という歴史的な瞬間に立ち会えるぞ、と同行者とザワザワし始める。

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7回裏、8回裏もヒットを許さず、ノーヒットのまま9回裏スワローズの攻撃へ

先頭のジョシュ・ホワイトセル内野手を三振に仕留めいよいよあと2アウトであったが…

 

続く藤本敦士選手に初安打(レフト線二塁打)を許し、ノーヒットノーランの夢は潰えた。

 

三塁手の脇を鋭く抜け、カープファンの集まるレフト側の外野に点々と抜けた打球と、それを呆然と眺めていたその時の自分のことは、今でもハッキリと覚えている。

 

それでもヒットを打たれても勝てれば良い、と思い直して観戦していたが、ここから前田健太投手は一気に崩れ、畠山和洋内野手セカンドゴロで同点とされ、福地寿樹外野手にサヨナラヒットを打たれ、

ノーヒットノーランどころか勝ち星までもが、掴みかけた手からスルリとすり抜けてしまった。

 

翌日の新聞記事

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シーズン最後の試合でノンビリと観戦のつもりが思わぬ緊張感に包まれることとなり、しかも結果は負けてしまった試合ではあったが最後までドキドキしながらシーズンを終えることができた。

 

この日、あと2アウトまで来ながらノーヒットノーランを逃した前田健太投手は翌2012年シーズン開幕すぐの4月6日、相手は違うが対横浜DeNAベイスターズ戦でノーヒットノーランを達成。あまりにも見事なリベンジであった。

 

前田健太投手は、低迷を続けた1990年代後半から2000年代までのカープが、再び浮上して行く象徴のような選手であった気がする。

投手として97の勝ち星を挙げ、つまりそれだけカープの勝利に貢献したのみならず、マスコミとのサービスたっぷりのやりとりで一躍有名人となり、地味で存在感のない、という低迷期カープのイメージを払拭した貢献は計り知れないと思う。